kaminRe’s blog

気ままに徘徊している者です

自分の宝箱をみつめて

こんばんは、風が冷たくなってきた夜です。

それでも、朝と夜は居心地の良い風と匂いがやってきます。

天から、「行ってらっしゃい」や「お疲れ様」と言われているみたいですね。

自然の言葉を自分なりに推測して遊ぶのは元気をもらえますね。

 

 

 さて、皆さんは何を基準に行動していますか?

倫理や道徳に沿ってですか?本当にそれは鵜呑みにしてもいいものですか?

有名な誰かの考えることはすべて正しいのですか?

少なくとも私はそうは思いません。私たち人間に善悪の判断だけで行動できる人はいないのではないかと思っています。そもそも白黒をつけられるような内容が存在していたとしたら苦しむことは少ないはずです。たくさんの困難と苦悩が入り混じっているなかで、どうすればその状況から脱却できるのか考えますよね。そこでの自分の経験は貴重な体験になります。精神的な部分と外部要因が重なってできているのですから人それぞれに解決方法は違って当たり前です。ですから、精神的な部分が本当の意味で人と歯車がかみ合うことはないと思っています。合ったなと思うのは似ているだけで全く違うものです。確かに、自分と同じような状況で苦しんでいる人がいれば救われた気持ちになるのかもしれません。ですが、精神的な要因で同じはあり得ません。ヒントか参考になるな程度のものだと思ったほうがいいのかもしれません。そこで、自分で自分なりの状況克服の仕方について考えてください。時間は思う以上にあります。ここでは精神の時間ですね。人は変えられないかもしれませんが、自分の意識はいつだって再生可能です。眠っているだけなんですよ。人よりも最初にやるべきことは、自分の意識の覚醒ですね。その人自身が変わると後から人も変わっていくものだと思います。まず言い訳をする前に変わってみせましょう。ある国が意固地になって実験を起こしたりするときは、批判する国自体が行動を改めるべきです。するなと宣言するくらいなら自国のほうはどうなっているのですかね。宣言した国がやめろと言ったところで説得力は皆無でしょう。本当にやめてほしいならまずは自分の国から行動を改善するべきです。そこでやっと批判ができます。ここまでに至るのはなかなか厳しいと思うのですが…。少しの改善はできます。お互いに歩み寄れる日が来るのではないでしょうか?それでも効果が出ないようでしたら、発言内容を思い出して次の考えへシフトします。そうしていくうちに関係もほんの少し良くなるのではないかと思っていますね。悪いよりは良いに越したことはないです。ただ敵だから味方だからと決めつけるだけではもたないですよ。相手がそういうスタンスでしたら、中立を守ったほうが早いです。中立の中でも自分の意見はもっていたほうがいいですね。そもそも、敵だとか味方だとかそういうのはなかったではありませんか。生まれたてのときは特に顕著ですね。危険か危険でないものに分かれていたはずなのにいつから変わったのでしょう?本当にその行為が生き残るためのものなのでしょうか?甚だ疑問です。

 

人間ですから考え方が十人十色あるのは当然です。その貴重な考え方を変だとか、道徳的または倫理に反していると決めつけないでください。貴重なものが眠っている宝箱だと思って大切にしてほしいものです。

 

道徳を義務化するのは考え方を誰かの都合のいいように合わせるということですよね。それでは人間の本来備わっているものの価値がなくなってしまいます。都合のいい解釈と曖昧表現で逃げて法律が完成しましたなんてあってはならない。権力だけが支配して、考える権利や表現する権利が奪われるのはフェアではない!!反対の立場にもそれと相応の権利がないとおかしいとは思いませんか?

 

これもまた色々な考え方ができます。

あなたはどのように考えて行動しますか?